こちらの相談コーナーは「KOKOROZEN」で以前受付をしていた人生コーナーからの転載です。
①相談者「団塊世代の男性」58歳
2年後に退職を迎える、58歳の団塊の世代です。
家族は、妻と、独身で28歳の長男、86歳になる私の母で同居しております。
母は、老人特有の症状も出ており、この数年は妻が介護をしています。介護に疲れ果てた妻のグチを聞かされると、うっとうしくなります。
私は、今まで仕事一筋だったために、特にこれといった趣味もなく、退職後のことを考えると気が滅入ります。一体、今までの自分の人生は何だったんだろうと憂鬱になります。ひどい時には、明け方まで眠れない時もあります。
退職後はしばらく休養して、人生の時間をさかのぼって自分探しの旅をしたいと以前から思っていました。しかし、こんな家族のことを考えると、未来に希望が持てなくなります。どうすればよいのでしょうか?
回答
これは、わかりやすく考えますと、人間関係の悩みともいえます。 同じ人間関係と言っても、会社勤めでの人間関係とは、質が違います。 家庭内では、利害関係や、上下や保身、などといったとらえ方は出来ません。けれども、わかっていても、長年培って来たそういう“くせ”で、ついやってしまう不安がありますね。孤立してしまいますよね。 私がおすすめする方法は、『一度の人生で二度生きる』という方法です。 ご説明致しましょう。 あなたの場合は、60歳の停年を前にしての、人生の模索を兼ねた、人間関係の悩みであります。 だったら、還暦は、ワンサイクル終わっての、新たなサイクルへの出発なのですから、今までの会社人間から、別人間に脱皮してみる。 二度目の人生を生き抜く、このような割り切った、とらえ方をするのです。 新しい人間関係の価値観で生きてみるのです。その生き方が、家庭内の複雑に思える問題を克服し、自分でも納得出来る生き方となっていきます。 新しい人間関係の価値観とは何でしょうか。 それは、命令や処罰や威厳で“人をどうこうしよう”という、早急な言動ではありません。相手を見て動かそうとするものではないのです。 それとは反対にします。 “自分の心に、くもりがつかないようにする”と。ここに、中心を持ってきた言動です。 くもりが付かない言動とは何でしょうか。 例えば、あなたが20歳代で、青雲の志があって励んでいるとしましょう。その時に、自分でその志の腰を折るような発言は、しませんね。 そのせっかくの気分を、台なしにするような言動は、しませんね。自分の思いを、大切に守っていますね。 同じことです。 今でも、あなたは“人生を尊く生きたい”という、すばらしい心があります。これを仏性とも言います。 これからは、それを大切にし、損なわないようにする、という事なのです。 ところが、です。 悪口や、その場にいない人のかげ口、家族間での責めぎあい、怒鳴って高圧的に言う事を聞かせようとする、こうなると、せっかくの尊い心がくもってくるのがわかります。これをやめます。 そして、自分の心の尊さを損なわない言動を、自分で心がけるのです。 相手がどうのこうので、自分を千変万化させないのです。やめるのです。 「自分の尊い心(仏性)を日々守り育てる」 すると、自然と、あなたのすばらしさが、ひびきとして家庭内に及んで参ります。 知らない間に、です。あなたの、はからいを離れてです。 それがお母様への癒し、奥さんへのねぎらい、ひょっとして嫁姑問題の和解、息子さんへの父親の姿として、いつの間にか受け取られている事でしょう。 あなたならできますよ。 sato jiko